跳訳雑感

ゆるオタの備忘録です。

感情分化の追体験、チェンソーマン

終わりましたね、第一部。
この作品に対してはゆるファンなのですが、あんな最終回を描かれて何かを書かざるをえなかったと言いますか。単行本の購入にも二の足を踏んでいる状態の人間がですよ、すごいパワーを持った作品ですね。巷の考察とかほぼ見てないぐらいには浅いファンなんですが、ぼんやり考えてることがジャンフェスのステージで固まってしまったので、徒然と書いている次第です、考察というより感想ですが。

※ネタバレします。知って読んでも面白いと思いますけどね。

デンジが天使のもじり、だということは方々で言われていたわけですが、ここに赤ちゃんという解釈が入らないかな、と。濁点がついてるのでバクった赤ちゃん。

デンジは今どき珍しいぐらいバカな主人公であり、その戦闘にすら合理性に欠けています。単純に頭が悪い。ただ、それは知識や経験の不足から来るものであって、天性のものではなさそうです。現に、対マキマ戦では囮を使うなど、そこそこ賢い戦闘をしています。また、デンジには複雑な感情がありませんでした。公安に入ったのも、空腹という不快から逃れるためであり、汚い金でも気にしない、という雰囲気がありました。しかし、レゼ編あたりからデンジの感情は一言では言い表せないものとなっていきます。パワーの退行時がわかりやすい例でしょう。デンジはパワーを愛おしいものだと捉えていますが、以前であれば付きまといを不快なものと処理していたことでしょう。これは単純にパワーと絆が出来たからだというのもありますが、デンジが様々な体験により感情を分化させ、他人のことを想像できるようになったから、というのも一因に思えます。そして最後には愛するマキマを食すという、かなり複雑な愛情表現をするまでになります。(タツキ先生、カニバリズム好きなんですかね。)大人でも理解が難しい感情を持つことが出来るようになったのです。
これを単純な成長物語と片づけても良いのですが、ここまでの急激な変化がありえるでしょうか。劇中時間ではとんでもない早さです。新たに獲得している、というよりはまるで思い出しているかのような。
ここで思い出すのがデンジの親殺しです。何らかの理由(事故だと思いたい)で親を殺してしまったときに、中途半端に幼児退行が起きてしまったのではないでしょうか。後悔や自責の念に対して、記憶のみではなく感情を捨てて対処したのではないか、と。恐ろしいことにマキマという毒親に捕まって、デンジは再度親殺しを遂げるわけですが。こう考えるとデンジの成長速度にも納得がいくと言いますか、変なところでバカなのにラストは子供を預けられるぐらい大人なのにも説明がつくかな、と。

ママ求めて彷徨う赤ちゃんと化したオタクは、これ以上考えると鬱になりそうです。

この作品は、こんな考察ではなく、バカなデンジやシュールなギャグに笑ったり、強引な展開を迫力ある画で納得させられる古式ゆかしい少年漫画の気持ちよさを感じたり、そういうところで楽しむのが本質と言われればそれまでなんですけれどね。