跳訳雑感

ゆるオタの備忘録です。

「うっせぇわ」って自虐ソングにしか思えないんです

タイトルが全てなので以下は蛇足です。

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この記事がすごく面白くてですね、プロが考察するとこうなるんだなと。世界への諦念というのは、他の作品なんかを見ても、これからの世代に共通する価値観になっている感じがありますね。ただ、私がこのリンクを踏んだ時に期待したのは、ラストのフレーズ「アタシも大概だけど」に込められた自己嫌悪の感情に対する考察なんですね。

この曲、面白いのが自分の正当性を正しさだとか模範だとか大きな主語で語るのに、非難しているのは小さくて具体的な事象なんですね。そこに対してイキってるだとか器が小さいだとか、そういった感想をよく目にしました。しかし、これは最後のフレーズでしっかり回収されているように思えてしまってですね、ええ。串を外しなさいだとか小さな苛立ちを都度流しきれずに積み上げて、隔絶を望む自分も大概小さいな、という意味には取れませんか、と。

自分のことを天才と称する行為ですが、この曲を届けるべき人々にとっては根拠のない自信をもつだとか、そこまでの意味は無いように思うんですね。どちらかというと自虐的というか、万人にとっての正解とは言えないけど完璧じゃない私にとっては最適解だ、という意味で運用されている感じがあります。天才の私の言う通りにしなさい、ではなく、私は天才だからこれで正しいんだ充分じゃないか、という慰めなんですね。みじめさの無い慰め。

外面をいい子ちゃんで固めて、自分の本心は大切にして信頼している人々にしか見せずに、世界を少しでも変えようなんて行動を無駄だと割り切っている私も大概だ、という曲にしか私には思えません。


あ、単純に作品としてはあまり好きでは無いです。歌手の表現力は素晴らしいのですが、もうちょっと編曲を重くしてボーカルと殴り合ってほしいな、と思ってしまうので……。