跳訳雑感

ゆるオタの備忘録です。

舞台で倒れた同志、「やがて君になる」の槙について

 完結しましたね、もう一年も前のことですが。アニメからのにわかファンです。

あとがきで作者が百合を描いたつもりはない、と仰っていますが、それこそがこの作品の特色かな、と。思春期らしい恋愛感情への期待や戸惑いが描かれているのに、語り口が穏やかで新鮮です。突然の運命的な出会いや積年の想いが成就する展開にはもう飽きた、かと言って大人の生々しい情愛は手が出ない、そんな思いから恋愛物はぼんやりと眺めていた私には、あまりに新鮮で魅力的でした。百合というジャンルに捕らわれず、広くお勧めしたい作品です。

※以下ネタバレ

主役の3人も魅力的なのですが、私が語りたいのは槙君です、あまりに私なので。

彼は単に作中世界における読者代表、と片づけるべきかもしれませんし、作者の意図はそれかもしれません。また、侑が選ぶかもしれなかった未来の姿、ともとれるでしょう。しかし、もうそんなことよりも、あまりに槙が私。創作世界において、ハッキリと恋愛感情の不在を述べるキャラクターはまだ珍しいでしょう。彼が、舞台に上げられそうになったときの違和感を語る様を見て、同志がついに創作世界にも、と驚きました。しかも、他人事であれば嫌悪は全くないのです。その点も全く同じ。
槙は、恋愛をしようと決意したところで、きっとまた倒れてしまうのだ、ということを自身でよく分かっています。だからこそ侑には僕とは違うと言うのです。ことある毎に、自身に言い聞かせるように。いつか舞台に立ちたいと思う日が来たらどうしよう、とアイデンティティーの変化に怯えているように見えます、まあ私がそうなのですが。
恋愛感情が無い、ということは一生確定することのできない性質です。悪魔の証明なので。しかも性嫌悪が無いぶん、余計に疑いは晴れません。(日常は楽なんですが。)他人であれば、なおさら嘘だと糾弾されても仕方が無いな、という認識に落ち着くのは早かったです。しかし、生き物として重要らしい属性が死ぬまで暫定でしかない、というのは思っている以上に不安なことなのかもしれません。普段は忘れていても。槙が自己暗示のように侑とは違うと繰り返すのも、こういう類いの不安だったりするんじゃなかろうか、と私には見えてしまうのです。
もしかしたら、槙や私のような人間は他人を束縛したりされたりするのが心底嫌なだけかもしれません。誰にも期待を持たせず、面白いものを自由に追いかけていたい。与えられたくないし求められたくない。まあ、そんな生き方は現代人として不可能なんですけれどね。